大連駅東方向、上海路とロシア風情街を繋げる橋、現在は『勝利橋』と呼びます、昔は『日本橋』と呼ばれました。1899年、帝政ロシアにより建てられ、当初の名前が『ロシア橋』で、橋の北側には元帝政ロシアの官庁街でした。日露戦争勃発後、橋はロシア軍によって一度壊されました。1907年、日本当局が橋を造り直し、名前を日本橋と改名しました。改造後の橋は鉄筋構造のアーチ橋で、長さは108.6メートル、広さは16.4メートルです。第二次世界大戦終戦後、ここは改めて『勝利橋』と改名しました、現在は歩行者通路も別途作られ、旧橋の西側に新しい橋も作られました。